人間は集団内での位置を確保するための発言をする。それは真理を探るための発言ではなく、自分が到達した真理を伝える言葉でもない。ただ集団内での位置を確保するためのものだ。他人の感情に働きかけるだけの、論理としては無内容な言葉、しかし他人を操作するには有効な言葉である。
たとえばある人がある人に対して、あなたには悪霊が憑いている、私の助言に従わなければさらに不幸になると宣告したとする。それは事実関係を記述するものではなく、他人を操作する言葉である。
集団内でも、しばしば勇ましい言葉や極端な言葉が喝采を浴びて、発言者は集団内での地位を確保する。それは事実関係としてはまったく無効な言葉である。
たとえば政治的集団内での言動が典型的である。集団内部では優位を保つために有効だった言葉が、戦争になると敵対国の軍事力には通用しないのだから無効になるし、経済面では明らかな数字となって無効を証明することになる。
集団内部での対人関係を操作する言葉が、集団外部にも通用する真実だと誤認してしまうのは人間の脳がまだ発達の途上にある不完全なものだからだ。
しかしそうであったとしても、少なくとも一部の人間は正気を保っていてほしいものだ。