ストレスとかレジリエンスとかの元の意味を物理学の領域で調べてみると、こんな風です。
物性物理の領域ではストレスは物質を変形させる力であり、変形しにくさが剛性(stiffness)。剛性とは逆の変形のしやすさの度合い(変形量/荷重)は柔性。弾性(elasticity)については、応力を加えてひずみが生じたとき、除荷すれば元の寸法に戻る性質を弾性というとあります。物性物理で扱う物質は、変形が一定の範囲(弾性範囲内)では、変形しても元に戻る、つまり弾性を示す。
弾性は性質を表す語であって、それ自体は数値で表される指標ではない。弾性の程度を表す指標としては、弾性限界、弾性率等がある。弾性限界は、応力を加えることにより生じたひずみが、除荷すれば元の寸法に戻る応力の限界値である。
なるほど、分かりやすい。
精神医学に戻って、ストレス脆弱性レジリエンスモデルで言えば、この弾性限界を超えたところで病気になる。もう戻って来られないという地点ですね。それがどこかということは測定不可能で、結果として病気になったから、弾性限界を超えたのだと認識される。それだと困るのだが、現状ではどうしようもない。
除荷すれば元の寸法に戻る性質を弾性というのであるが、物質の場合は、除荷を他力に頼るしかないだろうし、生物の場合でも、他力に頼るしかない場合もあるだろう。しかしまた、人間は自力で除荷するように努力することもできるわけだ。
レジリエンスは、ストレスがなくなったら回復することを指すほかに、回復するようにストレスを取り除いたり、またはストレスを回避する力も指しているだろうと思うわけです。そこが物質の場合の弾性と、レジリエンスの異なるところかと思う。
もう少し物理学の項目を読んでみる。
一般的には弾力や弾力性等の語が使われるが、これらはほぼ弾性と同義である。
現実に存在する物質は必ず弾性の他に粘性を持ち、粘弾性体である。物質が有する粘弾性のうち弾性に特に着目した場合、弾性を有する物質を弾性体と呼ぶ。
日常の言葉で言えば、粘るという言葉のほうが多用されるのではないか。粘り強く戦う、粘り強い投球など、プロ野球でよく言っている。「弾力的に対応する」と言えば、杓子定規ではない柔軟な対応ということで、粘るのとはだいぶ違う。弾力性と粘性は語感として結構違うもののように思いますが、どうでしょうか。
粘性は液体の性質で、弾性は固体の性質と説明がある。ある物質が粘弾性体か、あるいは粘性体または弾性体に近いのかは、その物質に一定のひずみを与えたときの応力緩和(応力の時間変化)の緩和時間を見ることで判別できる。緩和時間が観測の時間スケールに対して十分短ければ粘性体、長ければ弾性体、同等のスケールであれば粘弾性体として扱われる。変化に抵抗する力と元に戻ろうとする力では違いますよね。粘性は変化に抵抗する力の側面が強くて、弾性は元に戻ろうとする力が強い感じがする。液体なら復元力とは言わない。粘性の高い液体は変化に抵抗するだけで、反復力があるわけではない。固体ならば変化に対する抵抗力も反復力もある。分子結合の強さが違うことに由来する、外力に対する挙動の違いが生まれる。
この説明は精神の説明には応用しにくいですかね。液体については粘性、固体については弾性、精神についてはレジリエンス、といえばそれでいいのかな。
物質でいえば、固くて変形に強いものは剛性で、これはハーディネスと理解できるし、変形されても元に戻るという意味で変形に強いものは粘弾性で、レジリエンスで理解できる。柳とか竹などがそのようなイメージになるのだろう。
反発する力が弾性で粘る力が粘性かと思うけれども、それは日本語の使用方法の問題で、物性物理の領域ではそうでもないらしい。心理学領域で、精神の粘性をテーマにしたら結構面白いのではないか。
つまりまとめると、ストレスに対して折れない力、反発して元に戻る力、粘る力などがある。折れない力はハーディネス、反発して元に戻る力はレジリエンスである。粘る力はよく分からないが日本語でよく使う言葉である。発酵食品で粘りが身近なことが理由かもしれない。
ハーディネスの要素としてはコミットメント(commitment)、コントロール(control)、チャレンジ(challenge)の3つが考えられている。
教育ではレジリエンス育成の教育法が考えられている。
精神の粘性を考えれば面白いかもしれない。
次は精神医学領域でのレジリエンスを考えます。
(つづく)