リベラルと保守を分けるのは言語的知能と新奇なものへの好みにあるという仮説

“「言い返せるから」リベラルになる。

「認知心理学では、政治的にリベラルなひとは保守的なひとに比べて知能が高いことが繰り返し確認されている。子どものときの知能で成人後の政治的立場を予測できるとか、 政治的立場はある程度生得的に決まっているとの研究もある。これについては別の本で詳述したので繰り返さないが、リベラルと保守を分けるのは言語的知能と新奇なものへの好みにある。 言語的知能が低いと(いわゆる口べただと)、世界を脅威として感じるようになる。 なんらかのトラブルに巻き込まれたときに、自分の行動を相手にうまく説明できないからだ。

このことは、子ども時代に叱られた体験を思い浮かべればわかるだろう。悪ふざけをしたとき、大人は「なんでそんなことをしたのか?」と訊く。この問いに即座に納得のいく返事ができた子どもは許され、口ごもってしまう子どもは罰せられる。

大人は子どもを道徳的に「教育」しようとしているのではなく、その行動を理解するための説明を求めている。なぜなら、理解できないものは不安だから。こうした経験を子どもの頃から繰り返していると、言語的知能の高い子どもは見知らぬ他人との出会いを恐れなくなり(怒られても言い返せるから)、口下手な子どもは親族や友人の狭い交友関係から出ようとしなくなるだろう(自分の行動を説明する必要がないから)。

これが「リベラル」と「保守」の生得的基盤だとされているが、だとすれば、世界を恐れない(言語的知能の高い)子どもは、異人種の友だちや外国人との恋愛、留学、一人旅まで「新奇な体験」全般に興味を抱くようになるはずで、これが「ネオフィリア (新奇好み)」だ。それに対して世界を脅威と感じている(言語的知能の低い)子どもは、 いつも同じ仲間とつるみ、知らない相手を遠ざける「ネオフォビア(新奇嫌い)」になるだろう」”(p173)