最近のウクライナ・ロシア関係の報道では画面を見ていて知的レベルの低下に幻滅する。
検証に乏しい勇ましい言葉が飛び交い、どこかの国を上からしかりつけ貶めるような態度で、まるで半島の北の放送のようで疎ましく思う。
しかもそのあとですぐに表情を変えて、佐々木朗希がとか、大谷翔平がとか、明るくふるまうのも、がっかりする。あんなにきつい言葉を飛ばしておいて、次の瞬間にはニコニコ顔になれるなんて、感情が尾を引くということがないらしい。「私はそういう役で放送局で仕事をしていますから」というのは十分にわかるけれども、あからさますぎるだろう。視聴者は嫌悪しないのだろうか。
こういうことは決して初めてではなく、周到に仕組まれたものであるから、驚くにはあたらないものだ。むしろ、米国からの言葉の強烈さに、やっぱりな、と驚かされる。一番得をしている人が一番強気だ。
ウクライナの下層市民にとって、大切なのは外国からの武器の供与でもないし、武器をアメリカから買うためのお金の送金でもないことは明らかだろう(お金が送金されても、ウクライナの対外債務は巨額で、その返済に回されるそうで、武器さえも買えず、ましてや市民の生活に必要な物資は買えないそうだ)。
テレビでインタビューに登場するウクライナ市民はあくまで戦い抜くという勇ましい人たちである。まるでかつての沖縄戦である。
いろいろなことがあって、総合した結果として、アメリカ経済は当面強い。ドルの強さは続くという意見と、これがドルが強い最後の局面かもしれず、多極化に向けて徐々に進行するという意見とがある。激しい円安場面で、どうしたらよいものか。
ドラマ『NCIS』などを見ていると、個人は自由と基本的人権と民主主義を大切にして生きている。個々人が自分と国と国の存在意義である自由、基本的人権、民主主義を守るのであって、国に個人を守ってもらうつもりなどないとのメッセージが伝わる。個人が国を守るのであって、国が個人を守るのではないことは自明のようである。それは中国大陸でも、朝鮮半島の南北でも、同じことのようだ。
NCISのメンバーが軍に忠誠を誓い、中東で苦難に遭遇する話などを見ていると、自然に、アメリカの正義を信じる気持ちになる。忠君愛国国民が出来上がる。映像の心理操作力は強力である。何か別のものを見て中和する。
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最近ではアメリカドラマでは『SUITS』をみたが、ちょうどアメコミを読んでいる気分になる。表層的な話。法律ものというよりは法律事務所の内輪もめ。
『ニュー・アムステルダム 医師たちのカルテ』というのも最近見たが、これは赤ひげ路線で、あまり現実的ではない。経済的困窮、無知、高額すぎる医療制度、などを積極的に取り上げているリベラルな路線だが、おとぎ話すぎる。
そのあたりは『ER』や『グレイズ・アナトミー』と違うのだろう。
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『NCIS』での初動捜査、現場検証、科学的分析、コンピュータによる情報検索(必要に応じて、結果としてしばしばハッキング)と分析、ここまでのセットはいつもきちんと行われて、ルーチンセットとして強力であった。他の犯罪事件物でこれらのセットがきちんと行われていないと、こんな不十分な操作では事件なんて解決できないでしょうと思ってしまうくらい。