「新ハムレット」太宰治。新潮文庫、昭和49年発行、昭和57年14刷。「古典風」、「女の決闘」、「乞食学生」、「新ハムレット」、「待つ」を収載。書かれたのは昭和15年(1940年)、16年くらい。ナチスドイツ拡大、日独伊三国軍事同盟、大政翼賛会、1941年には真珠湾。しかし、「世情乱逆追討、耳に満つと雖も之を注せず、紅旗征戎吾が事に非ず」の感じである。
太宰の日本語は当時の俗語で構成され、固い漢字熟語は少ない。ひらがなが多い。朗読しても耳から自然に入って、理解しやすい文章である。
驚くのは、文章が今も新しいことである。当時のままの文章が、いまもそのまま解説なしに理解できること。歴史の中に一時的に現れて消える言葉を使わなかった結果だと思う。太宰の日本語は90年後の日本語の未来像を提示していた。不思議なことだ。
語彙の選択にしても、当時使われていた言葉の中で、90年後にも使われているであろう言葉を自然に選び出して使っているようだ。偶然の要素が強いのだと思うが、結果としてみごとなものだ。文章のリズムも文章の内容に合わせての調整がうまい。技術が高いのだと思う。
日本語の文章としては、一つの方向として、素晴らしい達成だと思う。しかし内容については、当時から現在まで、多くの意見があるように、あまり深いものではないと思うが、それは当時の売文業者の置かれた立場に由来する制約もあったと思う。しかしながら、特有の内面の描写から読み取ることができる登場人物の性格についても、やはり90年たっても古くなることのないものがあると思う。むしろ未来を先取りしていたと思う。太宰の描く性格が90年後には顕著になると予言されているようなものだろう。
日本語の形式から言っても、描かれている内容から言っても、90年先の未来まで通用するものであった。偶然だろうと思うがやはり不思議な感じがする。