この人生で何を目指すか、どのような方向で努力するか。
それについては、「自分らしい自分になる」ことと表現できる。
言い方を変えれば、自分のDNAがこの世界ではどのような適応をするのか試してみること。
それは無理矢理に適応するということではない。
偶然この時代のこの地域で適応的ならばそれでいいし、
不適応ならそれはそれでトライして結果が出たということでよいと思う。
適応がうまくいったら自分の遺伝子をたくさん残せばいいし、
適応がうまくいかないとわかったら、そのようなDNAをもらっても子孫も苦しいだろうから、
周囲の適応的な遺伝子の拡散に協力すればいいということになる。
何に向かって努力するかと子供のころはよく聞かれる。
お医者さんになりたいとかプロ野球でホームラン60本打ちたいとか言っている。
人間のDNAには医者になる遺伝子はないし、プロ野球でホームランを60本打つ遺伝子もないので、
まあ、的外れなことを言っているのだ。
遺伝子に書かれているのは、好奇心がどの程度とか不安がどの程度とか闘争心がどの程度とか
そのくらいのところだろう。
だから、各人、自分の遺伝子の命令に従って、そのような人生を歩けばいい。
そうすれば、極端に不幸なことはなく、その人なりの人生になる。
好奇心が強い人はそのような人生を歩けばいいし、不安が強い人はそのように生きればいいということだ。
このDNAでこの環境なら、こんな風だろうなという程度のことだ。
突然変異や両親の遺伝子の混合の仕方によっていろいろな遺伝子ができて、
その中で環境に適したものが子孫を増やし生き残ってゆくのだから、
それでいい。
それ以上のことを望むから苦しくなる。
親などに強制される場合も、不幸なことだと思う。
まあ、見方を変えれば、親に強制されることを選択して、
そのように苦しむ人生を自分で選んでいるともいえるのだが、
そのような言い方をしては雑すぎることになるだろう。
いろいろな遺伝子があるはずで、
自分がどんな遺伝子であるかは選べないわけだし、
そこは割り切って、自分の遺伝子がどのような特性を持っているのか
トライしてゆく、そんな気持ちでいいと思う。
それはそれなりに興味深いでしょう。