言語構造と精神構造
フロイトは無意識を論じたのだが、その内訳としては、(1)DNAに刻まれた先天的なもの、(2)後天的な経験により刻まれたもの、(3)言語により規定されたもの、などが想定される。そのほかにも考えられるかもしれない。
その人の使用している言語の中に、ある概念があり、その概念は他のどのような概念と結合しているか、その様子は、個人的なものではなく、集団的なものだ。ユングは連想に関する実験を個人について行い、コンプレックスという概念を提案した。しかしそれは個人のレベルのものもあるし、社会的な習慣として言語に埋め込まれたものもあるはずである。
したがって、社会全体についての言語分析は、精神の構造分析に有用であると考えられる。最近のコンピュータによるビッグデータ分析はそれを可能にするだろう。各国言語の違いなども役に立つ観察となるのではないか。
個人の脳の中には個人の辞書があり、社会としての辞書は出版社によって編纂された辞書の中にあり、また、公式の辞書にはないものの、半ば公式に共有されている語彙や用法もあるだろうと思う。
そのあたりから、価値判断の特性とか、性格特性とか、研究できるのだろうと思う。
諸外国の言語を比較検討することで精神構造の比較検討に及ぶことは昔から行われてきた。しかしそれは随筆の程度にとどまるもので、研究というほどのものではなかったと思う。