「群盗」シラー、1781年、久保栄訳1958年。
話は知っているので、日本語としてどうかということ、また昔読んだ時と今とで感じ方にどれだけ違いがあるかということが興味だった。
昔読んだ時とあまり変わらず、自分にとってはあまり面白くなかった。父殺しとか、普通人の倫理の外部にいるアウトサイダーとか、こういった主題はドストエフスキーのカラマーゾフにつながってゆくと思うが、それを表現するためにこのような迂遠でごてごてしたものの言い方をする必要はないと思う。しかしこれは演劇の台本ということなので、しかも1781年のものなので、内容としてもこんなものなのかもしれない。それほどありがたがるものでもない。
日本語として、1958年の日本語はまあこんな感じかなという程度。久保は演劇の人だったとのことで、演劇のセリフを意識して翻訳したのだろうと思うが、それにしてもこれが1958年の言葉遣いかという感じで、古い。日本語としても疑問があるところもあり、岩波文庫といえども考古学的遺物。
こんな感じの話なら町田康などの文章が適していると思う。