労働者がどれだけの賃金を受け取ればよいのか

労働価値説。投下労働価値説。支配労働価値説。剰余価値説。労働と労働力の区別。などいろいろとあるようだが、細かいことは別にして。資本家の立場も別にして。単純に、労働者がどれだけの賃金を受け取ればよいのかを考える。
たとえば、
成果給とは、仕事を行って得た成果や成績などを昇進や昇給の判断材料にするシステムのことです。 成果給は良い成果や成績を出さないと、良い評価が得られないと思っている人もいるかもしれませんが、成果給のシステムではその人の能力や成果や成績にたどり着くまでのプロセスも評価の対象となります。
などという腰の引けた説明がある。
そうではなくて、会社全体が市場メカニズムによる価格決定に支配されている以上、会社内部でも、支持用メカニズムを導入しようと考える。
たとえばXという製品を1日に100個作れば1万円、1000個作れば10万円、これは分かりやすい。市場メカニズムそのものである。
ここで、個人により能力に差があり、Aさんはぎりぎりまで頑張って100個、Bさんはやや安楽に仕事をして1000個だったとして、給与は1万円と10万円でよいだろうか。市場メカニズムとしては考慮しない。
また家庭事情などもあり、Aさんは病気の母親を抱え、子供は障害があり、しばしば休みを取らなければならないとすると、これは考慮しなくてよいか。市場メカニズムとしては考慮しない。
あくまで、個人が製品を作って、それを市場にもっていって自由な値段で取引するだけのことである。
Aさんはこれまで勤続30年で会社の苦しいときにも我慢して尽くしてくれた、後輩の面倒も見てくれている、それでも100個だから1万円、Bさんは新入社員で1000個なので10万円、これはどうか。市場メカニズムとしてはこれでよい。
さらに、AさんはXを100個作るのが限度だけれども、BさんはXの10倍の値段のするYを1000個作れる。すると1万円と100万円になる。Bさんがそのように能力を高めるために努力もしたし投資もしたというならばそれなりに分かりやすいが、生まれ持った才能で、対して努力もせずに出来ているとしたら、公平とは何だろうか。しかしこれも市場メカニズムとしてはこれでよい。
プロ野球選手などはこんな感じでしょう。
能力に応じて働き、必要に応じて受け取ると言われるが、能力を客観的に測定することもできないし、必要を客観的に測定することもできない。
もちろん、各個人が徳の優れた人であれば、能力に応じて働き、必要に応じて受け取るで問題はないが、実際の人間は腐っていて、利己的である。性悪説を前提に考えないといけない。そうした場合、結局は市場メカニズムしかない。
市場メカニズムだったとしても、徳の高い人たちの社会であれば、惻隠の情もあり、各個別の事情を勘案して、自発的に相互援助したりするものだから、何も問題はない。汗を流して一所懸命働いている様子はみんな分かっているのだから、助け合うだろう。病気の人がいたら休んでもらって回復に努めてもらう。お互い様である。
しかし現実には最低の人間が法律さえ触れなければ何をしてもよいと言い張る社会である。結局市場メカニズムしかないだろうということになる。

各個人がどれだけ努力したかを脳内の状態を測定することにより知ることができれば、その努力に応じて報酬を支払う方式が考えられる。しかしそのような方法はないし、その方法ができたとしたら、それを欺く方法もまた考案されるのだろう。人間はどうしようもないものである。

不動産などの管理で不労所得がある人の場合、先祖が苦労したから子孫が安楽にしていることを肯定するのかどうか。また先祖からのものでなくても、自分で手に入れた不動産が鉄道の駅が出来たりして急に値上がりして不労所得が入るようになったという場合、その運の良さは独占してよいものなのだろうか、どうか。これらについても客観的な評価は困難なのでとりあえず市場メカニズムに委ねることになる。こういうのは現在の労働ではなく過去の労働の成果とみなすのか。

同じだけ努力しても、ダイヤモンドを見つけられる人と見つけられない人がいる。仲間なら半分に分ける知恵もありそうだが、いつもそういうわけにもいかない。

市場メカニズムだけではいけないでしょうという反省があり、福祉国家を目指すようになった。社会主義的政策を取り入れて、部分的に結果の平等も目指すものだ。徳の高い人たちの社会なら、まことに良い仕組みである。差し出す人も受け取る人も心が豊かになる。
所得格差の全般的な問題を解決するために、累進課税として、収入の多い人からはたくさん税金を取り、収入の少ない人からは税金を少なく取り、またはさらにお金を配布したりもする。直接の援助ならば、人間としていろいろ考えもするのだろうが、国が間に入って、交付しているので、誰に感謝したらいいのかもよく分からない。また支払う方は誰に感謝されているのかもわからない。ここでまた交付を受けるためのテクニックが広がる。モラルハザードが起こる。
制度を設計すれば不都合が発生し、それに対処するためにさらに制度を複雑にし、官僚制度がどんどん複雑高度化する。コンピュータソフトがいつまでも未完成でいつまでも改良し続け、改良した部分にまた間違いが見つかり、結局無限に続くのと同じである。