ノーベル賞

ノーベル賞の受賞に際しての講演で、文学賞の受賞者の話を読んでいた。医学生理学、物理、化学などは現実を明らかに変革してゆく力のある学問分野であり、これまで治らなかった病気が治るようになったなどの実際の効力がある。ところが文学にはそのような実際の効力は望めない。ある種の文学は、ある社会の現状を世界に向けて告発するものであったりするので、政治的な意味で効力があるとされるかもしれないけれども、そういうものばかりではない。
平和賞はまた別のくくりであるから、平和賞受賞者が、医学生理学賞ほど役に立っていないなどと謙遜することはない。
経済学は、将来は自然科学に近接してゆくだろうとの期待を込めての、ノーベル賞対象としての設定なのだろうか。しかし現状では現実は複雑すぎて物理学程度の学問にはなっていない。
数学や生物学や哲学、歴史学、その他、ノーベル賞の対象として採用されなかった分野がある。
数学は採用されて当然だったと思う。実学ではないとの判断なのだろう。それは分かるが、数学者に栄誉を与えて動機付けにすることは当然に妥当なことだろうと思う。
生物学は当時は学問としてどうかというのもあっただろうし、実学として産業にどの程度寄与するかの考慮もあり、結局医学生理学賞で良いのではないかとの考えもあったかもしれない。その当時、独自の方法論がどの程度あったかといえば、あまりなかったようにも思う。生化学に還元される方向だったと思う。現代ではDNAに関する学問が一大分野であるからずいぶん変化し発展した。環境と生物に関するものとか生物学独自の方法論もあるように思う。
哲学、心理学、歴史学などは、流行に左右されるジャーナリスティックなものという判断だったのだろう。それは今でも変わらない。流行である。
結局文学賞受賞者が、医学、物理、化学に比較して異質で一段劣る感じ、というのは理解できる。文学賞と平和賞と経済学賞については選考基準もよく分からない。