生硬な業界用語 抽象空間で進行する議論

吉野源三郎の文章を読んでやはり生硬な業界用語がかなりあって、しかも業界名詞と業界形容詞と業界論理でどんどん話が抽象空間で進んでいって、読む側がそれらの用語に慣れていない場合にはにはそれに対応する実体がないのでイメージのピントがぼやけることがある。論理が整っている場合は、図示できるくらいに明確である。しかしそうでない場合もある。

最近では物事の説明に図解するとかシェーマで提示するとかが多いと思うが、この時代にはひたすら文章なのだろうか。

たとえばいちいちピタゴラスの定理を説明したりしないでいきなり既知のものとして使うのと同じことで慣れの問題であるとはいうものの。

逆に言えば、昔の読者はその程度までは前提として理解していたということで、50年くらいの間に日本の社会も、市民の共有概念や語彙も変化しているということだ。

言葉の背景としてはドイツ哲学、マルクス・エンゲルス、さらにソ連時代のいろいろな人たち、日本での言論、などがあるようで、そういった概念を道具として、安保改定問題などを分析していて、現在の人にもわかりやすいというものでもないかもしれない。

しかし、日米安保改定・全面講和派敗北の問題は現在でいえば、一連の安全保障関係の法制の原因と言えるし、沖縄の基地の現実はその結果であるともいえる。吉野の当時の現実を確実に引きずって現在がある。