うつ状態は、ふつうわたしたちが経験する「憂うつ」の延長ではない。失恋のあとのつらさはそれぞれに覚えがあるだろうが、その延長として想像するなら、それは間違いである。事態を理解していないと言ってよいだろう。
うつ状態は心身を巻き込む、異次元の事態である。経験しなければ分からない。実際に体が動かなくなる。筋肉の疲労、首や肩のこりは尋常ではなくなる。「精神」の病ではなく、心身の病である。
「うつ病」や「うつ状態」には日本語としてすでに特有の色合いがついてしまっているので、ここでは「ストレス性心身過労状態」とでも言ったほうがいいと思う。
日本語で一般に「うつ病」と言えば、現実には憂うつになる理由もないのに憂うつになる精神病、あるいは、現実の困難とは釣り合わない程度の憂うつを呈する精神病、ととらえられるだろう。「そんなに心配する必要はないのにどうしてそんなに落ち込むんだろう」というわけである。本来の、精神病としての「うつ病」の場合には「現実把握」がずれてしまっている。貯金通帳に五百万円あるのに、無一文になってしまったと嘆いている。それが精神病としての「うつ病」である。
しかし、「ストレス性心身過労状態」では、そんな現実把握のずれはない。現実の困難に対して必死に自分を奮い立たせようとしているが、体がついていかない。そのうちに不眠、食欲不振、不安やイライラ、憂うつ、おっくう、悲観的思考傾向などが出現して、一歩も前に進めなくなる。そんな状態である。
これは状況次第で誰にでも起こる。家族を調べてみても、多くは特に遺伝傾向がないことからも、体質や遺伝の問題ではないことが推定される。
几帳面で責任感が強い人に起こりやすいが、そういう人たちは、(悪く言えば)過労から逃げるのが下手で、エネルギーの限界まで頑張ってしまう傾向がある。そんな人たちは「ストレス性心身過労状態」になりやすくなる。平たく言えば、誰にでも起こる。慢性・持続性のストレス・過労から逃げられないとき、誰にでも起こるのである。
治療は、体の治療も必要である。こころのケアだけでは足りない。だから、薬を使う。人間の感情や考え方は、薬で変えられるようなものではない。しかし、ひどい不眠、食欲不振、筋肉のこり、こうしたことには薬がよく効く。このあたりが少し楽になれば、体に余裕ができて、ひいてはこころにも余裕ができるという筋書きである。