下書き うつ病・勉強会#5 ジャクソニスム

下書き うつ病・勉強会#5

ジャクソニスム

前回は症状の回復過程と、場所の病理と時間の病理についてでした。回復過程よりも、疾病の始まりの様子を正確に知りたいのですが、そんなわけにもいかないです。患者さんが克明に自分の心理の日記をつけているとかならば参考になりますが。思い出してもらうということで問診すると、それはある種の誘導にもなる感じですね。また最近ではネットなどで断片的な知識を持っている人も多いので、その知識に影響されて話すということも多くあるようです。
寄り道になりますが、患者さんは体が鉛のように重いと言います。これはある診断基準や症状の解説に出ている言葉です。しかし自分の腕が鉛になった体験を持つ人はいないわけですから、自然な表現ではないと思います。英米で体の全体や一部が鉛のように重いという表現がどのくらい日常的なものかわかりませんが、日本では少なくとも、親が話していたので自然に覚えた、というものではないと思います。
吐き気がするということを嗚咽がしたと表現している人が複数人いたのも不思議でした。嗚咽というのは声を抑えて泣くことですから、漢文に出てくるような表現ですね。それを吐き気という意味で間違って使った人が複数人いたのは、漫画か何かでそのような意味で使われていたのでしょうか。何か共通の出典があるのだと思います。雰囲気をふいんきと理解している人もいるようでこれも複数人いました。やはり出典があるのではないでしょうか。言葉は変動するものですから、お互いに通じればそれでいいので、合わせていけばいいでしょうけれども。朝、起きようと思ったら体が鉛のように重くて、無理だと思って会社を休んだとか、鉛のように重いというのは実感を表現した言葉なんでしょうか。鉛がどのくらい重いものか、体感があるのかな。水のペットボトルが9本入った段ボール箱とか。配送センターで働く人の重いものの例ですね。それならば実感だと思います。体が300キロになったみたいに重かったとも言わないですね。鉛という言葉の印象がまがまがしく不吉な感じに近いのでしょうか。

さて、場所の病理について言えば、ジャクソニスムの話題があります。フランス語読みですね。これも症状の構造を理解する観点から大切な見方です。人間の脳は進化の過程でいろいろなものが付加されたり除去されたりしてきていると思うのですが、おおむねを言えば、古い下部の構造をサブルーチンとして活用しつつ抑制的にコントロールする新しい上位構造が付加されるという感じです。

古いものを活用しているのです。たとえば集団内での序列を決めるマウンティングの話など。どちらか一方の個体だけが餌を食べることができるとか繁殖することができるとかの場面になったとして、いちいち喧嘩して決めていたのでは滅亡ですから、あらかじめ序列を決めておいて、いざ餌が手に入ったときには、その序列にしたがって分け前を取る、というような話です。今後また訂正されるのかもしれませんが、現状ではそんな話。そのとき、マウンティングの儀式というものがあり、それは性行為の時の恰好をして、優位個体がオスの役割をして、劣位個体が雌の役割をするというものです。頭の中にある性交の行動様式が集団内の序列確認のために利用されています。これは、脳内の行動サブセットが他の目的で呼び出されて利用されているということです。メスの役割をすることが劣位の確認になるなどは心理的に承服しがたいことかもしれませんが、一応、そういう話もあったということです。今現在どのように扱われているかはよく分かりません。しかし、人間の場合でも、暴力的な興奮と性的興奮が脳内の近い場所にあるだろうことなどは推定できますね。だからどうというのではありません。女性乳房に性的意味を付与したりするのは牛とか馬では見られないのではないでしょうか。豊かなお尻に興奮する脳回路が豊かな乳房に興奮することにつながっているらしいと言われています。幼児性愛とか死体性愛とかの場合、性欲の回路が様々にサブルーチンとして呼び出されて利用されているようですが人間の上位中枢も困ったものです。余計なことをしないで生殖目的に役立つことだけをする行動様式が進化的に拡大可能性が高いというのは一見合理的で分かりやすいですが、人間の場合はそうでもないようです。余計なことのいろいろが結局繁殖とDNA保存に役立っているのでしょうか。進化生物学ではそう考えます。そう考えるしかない。これらのどれが病気なのかが問題になることもあるわけです。社会的に排除したり抑制したいものを病気として認定しているのではないかと思われる部分もあります。社会とはそういうものなのでしょうし、病気の診断はそのような側面もあるものなのでしょう。将来どのような姿がよいのかは我々の判断にかかっています。

さて、ジャクソニスムですが、人間の脳は下位の階層から上位の階層に何段かの積み重ね構造になっていて、上位の階層は、下位の階層を抑制的に制御している、あるいはサブルーチンとして利用する場合もあると考えます。
中位の階層ではその下位の階層の回路をサブルーチンとして使ってセットを形成しているので、さらに上位の階層でそれらの中位のサブセットを利用すると、非常に複雑なことができるようになります。
ここで、中位の階層で脳虚血が起こったり、脳腫瘍ができて圧迫されたり、ピストルの弾丸が貫通したりして、機能停止したとします。その場合、その部分、つまり中位の階層のその部分とそれより上位の機能は失われます。そして同時に、下位の機能に対しての抑制がはずれますから、脱抑制となり、下位の機能が突出して出現することになります。
たとえば、脳血管障害である部分の機能が失われたときに、下位の機能が突出して出現することはよく知られていて、膝蓋腱反射などはその一例です。また赤ん坊の場合、成長に連れて上位の抑制系が発達します。それまでは赤ん坊に見られる原始反射というものが観察されます。成長すると出現しなくなります。また、成人がアルコール摂取した場合に、脳の進化で新しく獲得された部分が最初に機能低下するようで、言葉で言えば高度に人間らしい部分が失われ、上位階層によって抑制されていた下位の本能的欲求が突出します。ですから、酔っぱらいの行動は、上位部分の機能が失われたことによるマイナスの症状と下位機能の抑制が取れたことによる突出・プラスの症状のふたつが観察されることになります。
お酒で興奮する人もいますし、寝てしまう人もいるわけで個人差がありますが、酔っぱらうと上位機能である倫理的な感覚は失われ、下位機能である性欲や食欲や暴力やそんなものが現れやすくなります。マイナス症状とプラス症状の複合として現れます。
では、うつ病の症状としての不安、イライラ、憂うつ、根気ない、興味ない、喜びない、生きがいがないなどはどうでしょうか。不安イライラは脱抑制によるプラス症状ではないか。憂うつ、根気ない、興味ない、喜びない、生きがいがないなどはマイナス症状ではないかと考えられるでしょう。やはり、不安・イライラはこの系列の中では異質のものではないでしょうか。

言葉の問題と思いますが、一応、根気ない、興味ない、喜びない、生きがいがないについては、欠如を示していて、上位階層の機能停止だと考えてよいのではないでしょうか。
憂うつはどうでしょうか。何かが失われて憂うつになるのか、何かの抑制がはずれて過剰の症状として憂うつになるのか。両方考えてみます。
何が失われると憂うつになるのでしょうか。喜びが失われると憂うつになるのか。躁うつ病と言うように、うつの反対は躁だから(言語習慣としてそのように考えられることもあるというだけですね、本当は)躁成分が失われるのか。はっきりしません。神経細胞のレベルで何が起こっているか調べなければ、言語習慣の考察になってしまいそうです。
一方、抑制が外れて、下位の機能の突出が起こるとして、それでは憂うつになる機能が脳の中にあるというのでしょうか。それはなかなか考えにくい。無理に考えれば、集団内で役に立たなくなり生きているよりも死んだほうが集団の役に立つという状況の場合、死んだほうがいいという考えが脳の中にあれば、集団全体としては生存可能性が高まりますから、憂うつ回路は役に立つ回路だとしましょう。しかしそれは無理かなと思いますね。姥捨て山みたいな話です。憂うつが自殺に直結するわけでもありません。憂うつの進化論的な価値を論じているのですから、すぐに自殺のことを論じるのは飛躍があります。また、自殺のことについても、実際の話、自殺は社会にとって大きなマイナスであるから自殺を防止しようと呼びかけているわけです。自殺すれば家族は大きな苦しみの時期を過ごさなければなりません。残された家族のことを考えると自殺できないと考えることが多いでしょう。高齢者の場合には自殺したいという気持ちよりは、何かする気力も体力もなくなり自然に機能低下してゆく場合が多いのではないでしょうか。有名人の自殺は報道で話題になりますが、合理的な判断というより、妄想に近い考えが支配していたのではないかと思われます。
脳の中に自爆回路があって憂うつはそれが薄まったものと考えるには少し無理がある。昔フロイトはタナトス・死の本能について書いたのですが十分な説得力があるとは思いません。
憂うつの進化論的な価値としては、忙しくしている人が休息を取れることです。普段から休んでいれば憂うつになっても特にいいことはありません。一休みしたほうがいいよというシグナルと考えれば進化論的な意味はあると思われます。

ジャクソニスムのように脳の階層構造を基本にした考えとしては脳血管障害後のリハビリが挙げられます。脳血管障害により脳の一部が機能停止すると、その部分よりも上位の機能がマイナスとして現れ、その下位の機能がプラスとして現れます。その状態から開始して、リハビリとしては、脳の階層の下位から順に上位に向かって機能再建するようにします。そうしないと、脳の上位の部分は下位の部分をサブルーチンとして使えないからです。あるべきサブルーチンがないままで機能再建をすると、障害部分に不適切なサブルーチンが形成されたりして、全体としてよい機能改善が実現しないことがあります。身体の運動障害で言えば、おおむね体の中心部から外側に向かって順番に機能回復訓練をします。箸を使えるようになるのは重要ですが、いきなりそこから始めると、上腕や前腕が機能不全のままで固定されたりして、支障が出たりするわけです。
精神機能の場合も同様にリハビリしたいのですが、その順番がよくわかりません。下位から上位に向けて順序よくやればいいだろうと理論としては考えられますが、精神機能の場合には上位下位がよく分かりません。
合理的判断が性欲食欲よりも上位にあるだろうということくらいは進化論的にみても言えることでしょうが、細部はいまだ不明です。
憂うつ、根気、興味、喜び、生きがいなどは要素的なものではなく複合的なものなのでしょう。言語習慣としてそのようなカテゴリーを設定しているだけなのかもしれない。しかしまた、ドパミン、ノルアドレナリン、セロトニン、GABA、グルタミン酸などは下位すぎて人間の感情や思考として解釈するのは難しい。
局所の血流低下とか代謝低下、また変化などを測定しても、憂うつ、興味、喜びなどを要素として取り出すことは難しい。

神経伝達物質が出てきたので少し寄り道をします。うつ病はセロトニン、やる気はノルアドレナリン、不安はGABA。統合失調症はドパミンと言われていたが最近はグルタミン酸がリサーチのターゲットになっている
などと言われます。関係していないことはないでしょうが、それで決まるものでもないでしょう。神経細胞同士がネットワークを作って互いに抑制したり促進したりしているのですから、セロトニン系とドパミン系は独立ではない。
最近では二種類とか三種類の神経伝達物質をターゲットにする薬も出てきて、だからいいと宣伝したりしている。でも、人によってそれぞれ違いはあるので、この人はセロトニンをこのくらい、ノルアドレナリンはこれくらい、ドパミンはこれくらいという具合に、個々に調整できるほうがありがたいと思うのだがどうだろうか。何も考えなくて投与しておけばどんな病気にも間に合うなんておかしな話だ。
とはいうものの、統合失調症の薬とうつ病の薬、さらには躁うつ病の薬が互いに相互乗り入れしたりして、鑑別診断する価値が薄くなっている部分もある。
遺伝子解析によって分かったことは、統合失調症の遺伝子と躁うつ病の遺伝子はお互いに重なる部分が大きいことだ。親が躁うつ病で子供が統合失調症など珍しくもないというわけである。
統合失調症の薬とうつ病の薬の合剤も発売されて、一体何をしたいのかと思うと、診断が苦手なお医者さんでも使いやすい、新人研修医でも安心して使える、専門外のお医者さんにも使いやすいなどと言い出す始末だ。
神経伝達物質の話題としては、たとえばアセチルコリンの粒が出て、次の細胞に信号が伝わるというのですね。とても集中して頭を働かせる場合、たとえば将棋のプロ騎士が20手先を何通りも読むという場合、神経伝達物質の粒がどんなふうに出入りしているのでしょう。たとえば卓球で瞬時に判断してボールを打つ時、せっかく電気信号で素早く流れてきたのに、途中のシナプス部分でいちいち神経伝達物質が一粒出たり、それをレセプターで受け取って、再度電気信号になったりして、間に合うものでしょうか。アルプスの少女ハイジくらいなら神経伝達物質の速度で思考したり運動したりしてもいいかもしれないけれども。
実際に神経を顕微鏡で見れば、シナプスがあって、その空隙は神経伝達物質が信号を伝達しているのだろうと納得できます。また一方で、現実の思考や運動は全部が電気信号であったとしても、納得するのが困難なくらいに速い。ましてや神経伝達物質の粒が押し出されて、次の細胞のレセプターに取り込まれるなんて、時間がかかりすぎるだろう。予測して活動するのだというのは分かる。そうなんだろう。しかしそれにしても納得しにくい。先回りするとか並行回路で速くするとかいろいろあるのかもしれない。とにかく、電子が流れるだけでも追いつかない感じがするのに神経伝達物質が間に入るなんてどうなっているんだろう。(つづく)