神が私を愛し、赦してくれる。だから私は神にならって、隣人を愛し、赦す。

神が私を愛し、赦してくれる。だから私は神にならって、隣人を愛し、赦す。

私の隣人は傷ついたイエス・キリストである。だからその人の傷をいやす。そのことで私には生きる意味が生まれる。神とつながる。

神に至る教義と科学による唯物論は矛盾なしに同居している。いまのところ世界についての二つの有力な解釈である。唯物論は現状ではまだ未熟で、唯物論がもっと進展すれば、超越者なしでの世界説明に成功するかもしれない。そのときやっと、神に至る教義と同等の立場となるだろう。現状では見込み唯物論であり現在進行形であるが、少しずつ補えばいい。諸宗教と唯物論は、いずれも仮説であり、相互に翻訳可能な体系となっている。

この場合の神に至る教義とは、文字通りの宗教解釈ではなく、その構造の奥にあるものをくみ取る解釈である。

伝統的諸宗教と唯物論を統合解釈する流れもある。それが本道であろう。

こうした神は愛と赦しのキリスト教の神であり、かつまた正義のユダヤ教の神だろう。