『社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学』ジョナサン・ハイト2014.成熟社会はなぜ右傾化するのか
意思決定において直観が理性に優先されることは、プロスペクト理論の名でよく知られている。
人間の古い脳(直感)が新しい脳(理性)に優先する。理性は直感の弁護人でしかない。
人間は、どんなインテリであっても、直観に基づいて意思決定を行い、理性は、後付けの言い訳づくりを担当するのが基本構造である。
ハイトによれば、道徳基盤はひとつではない。六つに類型化できる。「ケア」「公正」「忠誠」「権威」「神聖」「自由」の六つの類型である。米国の左派(リベラル)を信奉する人は、3つ(ケア、公正、自由)の道徳を重視するが、忠誠、権威、神聖には重きを置かない。その一方で、右派(保守)の立場の人は、6つの道徳すべてをバランスよく調和させようとする。
世界が右傾化していると言われている。
ハイトによれば、この現象は、道徳基盤の多様性で説明できる。左派(リベラル)は3つの道徳基盤の受け皿にしかなれない。これに対して右派(保守)はすべての受け皿になりうる。つまり原理的に価値多元社会に適応しやすい。
言い方を変えれば、右派は直観に訴えれば、6つの道徳基盤のいずれかに響く。ゆえに右派の政治家は、直観的な論争を志向する傾向がある。左派は、依拠する道徳基盤が少ないゆえに直観的論争には不向きである。ゆえに理性的な論争を志向する傾向がある。
これが、ハイトが分析した世界(特に成熟化した先進国)が右傾化するメカニズムである。
人間は通常は利己的存在であるが、ある条件が整うと利他的な存在に変貌する。集団志向は、人々に類似性を強制し、多様性を否定することにつながる。集団は所属する人々の同調性を求め、自由を束縛する。集団の結束を強化するために、競争相手の集団に対する憎悪を増長させていく。集団志向は、排他的に強化されていくという弱点を持つのである。
この弱点によって、集団間競争はエスカレーションという危険性を伴うことになった。
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井上靖についての文章で
初期の短編と全盛期の歴史小説は、作風こそ異なるが通底するモチーフがある。理性や論理を越えて、内面から沸き起こる熱情のようなものに身を任せる人間を描いているところだ。内なる自分の衝動的な力、理性を凌駕して人間を突き動かす情動力のようなものが、実は歴史を作りだしてきたことを大河ドラマのような壮大さで訴えかけている。
という部分があり、直感と理性の関係を説明していると思ったので貼り付けた。
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