つらい過去を忘れるくらい幸せになろう

つらい過去を忘れるくらい幸せになろう

もちろん、つらい過去は確実にあったのであり、それをなかったことにはできない

なかったことにする必要もない

自分はそれを受け止めて生き抜いてきたのだと自信にできれば一番良い

また、つらい過去に対しての考えや感じ方を変えるというのも方法であって

たとえば昔からキリスト教的に、これは神が与えた試練である、というようにヨブ記に描かれているような状況と考える方法もある

しかしどうだろうか。今現在が幸せになれば、昔の苦しみもやや感じ方が変わるのではないだろうか。

いま幸せというほどではなくても、将来は幸せになるぞという前向きな気持ちがあれば、苦しみも少しは緩和されるのではないか。

当面は苦しい。しかし次第に未来への展望が開けてきたなら、少し違うのではないか。

希望は過去の苦しみを緩和するし、過去の苦しみの意味を見つけることさえできるかもしれない。

さらに苦しみに直面した場合に、誰かを赦すことも課題になる。

赦すことは難しい。忘れるほうがまだ容易である。忙しさに紛れて忘れるほうが容易だ。

その意味では、休職したりして、周囲の景色が停止した環境になると、考えや感情がいつまでも固着するような気もする。

キリスト教では赦すことが大きな課題である。

それは宗教の課題だけれども、現実の利益を比較して、赦さないのと赦すのでは、赦すほうが、自分は大きな人間であると思えてよい、過去に固着しないで、こころを未来に向けることができる、などで利益が大きい。現実利益が大きいほうを選ぶという割り切りもよいと思う。どうせ短い人生なんだし。

さっさと損切りして前向きになったほうがいい。

しかし、得だから忘れようというのも、実際は難しい。

実際には今の現実が忙しくて、過去のことを考えている余裕がないとか、今の現実が楽しくて、昔の苦痛を思い出す暇がないとか、そうなることがとりあえずできることだ。

そしてそのあとで、実際に幸せになれば、人生の新しいページを開いたわけで、古いページは、開かない限り、思い出さないでいられるだろう。

人間はうつ状態になったときに、昔の苦しかったことを次々に思い出す。「うつ場面連続想起」と個人的に名付けている。

うつ場面連続想起が起きているときは、自分は今、うつ状態なのだと認識して、割り切って、時間を待つこともよいだろう。

うつ状態は時間がたてば治る。時間がたっても治らないのは、もう少し複雑な事情だということだ。

いずれにしても幸せになれば別の自分になれるのである。それを目指したほうがいい。

江戸時代の敵討ちのようなものは幸せにはつながらないと思う。

ではどうやったら幸せになれるんですかというのがまた難しいんだけれども、ちょっぴりの幸せでいいんですよ。ささやかでいいんです。

仕事があって社会とつながり、プライベートなつながりもあり、少しの気晴らしもあり、それだけで十分贅沢だと思う。

仕事で社会とつながっている、毎日やることがある、仕事で人に感謝されたり、役立っていると感じることができる、それでいいですよね。