2022-09

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合格することを受かるという

試験に受かる pass the exam というけれど、合格することを受かるという漢字をあてるのって、おかしくないですか。受けるというと recieve という感じですよね。そこを受かると言っているのも変だ。合格するだと passとかsuc...
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この人生で何を目指すか、どのような方向で努力するか。

この人生で何を目指すか、どのような方向で努力するか。それについては、「自分らしい自分になる」ことと表現できる。言い方を変えれば、自分のDNAがこの世界ではどのような適応をするのか試してみること。それは無理矢理に適応するということではない。偶...
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「から」と「ので」の違い

「から」と「ので」の違いについて説明が本に書かれていて、、そのあたりは日常生活で自然に間違わないで使っているなと思い、それを日本語学者は抽象的に言葉で理論化するのか、と思い、自転車の乗り方のようなもので、乗れる人は特に説明もできないけれども...
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『日本語と私』大野晋。1999年。

『日本語と私』大野晋。1999年。『日本語と私』大野晋。1999年。大野晋の著作については、まず言語構造と精神構造の関連はどうかという関心で読んだ。そのうち、大野の日本語文章が非常に平明で読みやすく模範的だと感じるようになった。本書の解説と...
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祈りの意味の仮説 自由意志の仮説

祈りの意味 自由意志祈りが単なる自己満足で、現実に効力がないとしたら、なぜそのような習慣が人類にいまだに残っているのかと考える。野球場でスタンドから祈るなら、プレイヤーに伝わるかもしれない。それは実際の影響力があるだろう。しかしテレビの前で...
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人間の顎は小さくなりつつあり、そのせいで歯が余ってしまい、歯並びが悪くなる

人間の顎は小さくなりつつあり、そのせいで歯が余ってしまい、歯並びが悪くなる。顎が小さくなる淘汰圧はどのようにして生じているのだろう。顎が小さい個体が性的に選好されているとも思えないが。顎が小さいことは幼形成熟と重なることなので、幼形成熟の一...
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言語は一面では制限であり檻である

言語は人間の脳を発展させるが限界を決定するものでもある。言語は一面では制限であり檻である。PCでいえばOSであるが、みんながwin11を使っているのにwin7のままで生きている人もいて、なかなか大変である。本人に自覚はない。
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『私という小説家の作り方』大江健三郎。1998年。

『私という小説家の作り方』大江健三郎。1998年。無宗教者の祈り、という言葉について考える。キリスト教を背景とする西欧作家の作品で「魂」といえば、キリスト教的な意味で神につながる魂のことだろう。大江が述べているような、無宗教者であって、しか...
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神が私を愛し、赦してくれる。だから私は神にならって、隣人を愛し、赦す。

神が私を愛し、赦してくれる。だから私は神にならって、隣人を愛し、赦す。私の隣人は傷ついたイエス・キリストである。だからその人の傷をいやす。そのことで私には生きる意味が生まれる。神とつながる。神に至る教義と科学による唯物論は矛盾なしに同居して...
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孤独

孤独幼くして親なきを孤といい老いて子なきを独という-----孤児院、残留孤児、独居老人などという。
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集団への献身 集団のために命をささげる自殺攻撃

集団への献身甲子園で、肩が壊れてもいいから投げさせてくれと頼む投手。集団主義の中での自己犠牲の意味はあるだろう。しかしまた、集団の圧力の中で、本音は言えない部分もある。また、本音を圧殺する洗脳的な操作もあるだろうと思う。思い出されるのは、特...
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とぎれとぎれの知覚要素+脳内回路=現実把握

人間の知覚は、それぞれの肉体的条件によって制限されているし、それぞれの場面での物理的な条件によっても制限されるし、また不正確になる。例えば、各個人によって視力も異なるし、年齢によって聴覚の可聴周波数域が異なることも知られている。昼と夜では光...
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なぜ人間は自分の思考や感情が間違いだと気が付くことができるのか。

なぜ人間は自分の思考や感情が間違いだと気が付くことができるのか。また逆になぜ気づけないのか。気づいたとして新しい認識は正しいのか。どのようにして知るのか。本当に難しい問題である。間違いから別の間違いに移行しているだけというのが実際のところだ...
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内的構造の類似を発見すること

異なる事象の間にある内的構造の類似を発見すること。それが知恵ということになる。それは事象に内在する構造が理由かもしれないし、脳の認知構造の問題かもしれない。
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現代思潮社版『ロシア・フォルマリズム論集』シクロフスキー 離人症とその反対

現代思潮社版『ロシア・フォルマリズム論集』シクロフスキー「そこで生活の感覚を取りもどし、ものを感じるために、石を石らしくするために、芸術と呼ばれるものが存在しているのである。芸術の目的は認知、すなわち、それと認め知ることとしてではなく、明視...
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『シッダールタ』ヘルマン・ヘッセ。

『シッダールタ』ヘルマン・ヘッセ。これは井筒俊彦の本を読んだと同時期に読んだ。神秘体験に至る様子が大変よく描けていると思った。(ヘルマン・ヘッセだから素晴らしいのは当然だと言われそうだが、私としては『車輪の下』のイメージがあり、当時はそんな...
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『宗教とアウトサイダー』コリン・ウィルソン、原著1957年。中村保男訳。

『宗教とアウトサイダー』コリン・ウィルソン、原著1957年。中村保男訳。人間は欲望と知覚の塊で一種の自動機械である、どうせ卑小な存在であるというインサイダーの考えではなく、人間は宗教を肯定し、自由意志を肯定し、人間存在の意味と目的を自覚した...
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個人と集団と宗教

キリスト教にしても民主主義にしても社会主義にしても、集団を形成して活動するようになると、本来の理念とは別の、土着の集団原理が支配するようになる。そこまでは輸入しきれない。そこまでは真似しきれない。教育しきれない。どんな理念のもとに集まったと...
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「信仰への旅立ち 読書のすすめ」宮田光雄、1982年。新教出版社。

「信仰への旅立ち 読書のすすめ」宮田光雄、1982年。新教出版社。宮田光雄は東北大学法学部教授、プロテスタントの立場で大学生など若い人に向けてのキリスト教入門書を書いている。本書はキリスト教を学ぶにあたっての大学生向けの読書案内である。「罪...
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世界理解の「方法」を学ぶ

高校を卒業して、大学などで何かを学ぼうと思っているとして、何が大事だろうか。将来の職業や資格を考えて進路を選ぶのは妥当な選択である。生活が第一だ。生きるための方法である。職業訓練学校の意味である。しかし一方で、勉強によって、自分が世界や人間...